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私が駆け出しエンジニアだった頃の大きな人生の岐路

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記事の内容


この記事では、私のエンジニア人生における、2つの大きな人生の岐路について話していきたいと思います。
ただのポエムですが、どなたかの参考になれば幸いです。

私が駆け出しエンジニアだった頃

私がエンジニアになったのは2006年の11月頃でした。
ちょうど、Web2.0が流行り始めた頃で、mixiが全盛期だった頃です。
そんな時に、たまたま、関西で特定派遣を手掛けている会社が、エンジニア社員を募集していました。
しかも、一ヶ月間のLAMPエンジニアになるための研修つきです。
それに応募したら受かったので入社することにしました。
とはいえ、研修で使うLinuxの画面はCUIのみだし、エディタはvimです。
htmlとcssは独学でやりなさいという非常に厳しい内容の研修でした。

特定派遣とは、今でいうSESのようなものです。
正社員としてテンプスタッフという会社に所属していますが、実際の職場は、全然、関係ない他社です。
いわゆる「人売ビジネス」と揶揄されるようなビジネスです。
さらに言うと、経験が浅いエンジニアの場合は、なかなか経験を積む機会がないため、半年ぐらいの間は、「社内ニート」などと呼ばれていました。。。

Progateやドットインストールもなく、独学するには辛い時代でした。
Linuxを勉強するにも、Vagrantもないので、Imageファイルを落としてきて、それをvmwareにインストールしていました。
何をするにしても手間がかかっていた時代です。

東芝グループに入ることを選択しませんでした

私の人生における一つの目の岐路は、両親からコネ入社を勧められたことです。

当時、私の年収は300万ぐらいだったし、職場環境は半年から一年単位でコロコロと変わります。
そんな環境に嫌気がさしていたので、私は常に転職を考えていました。
そんな折に、両親から、「東芝のシステム系の会社」への就職の話がふられました。
強力なコネがあったので、私が、「是非、いきたいです」と言えば入社できたはずです。

当時の状況であれば、東芝の関連会社に入るということは、かなりの勝ち組でした。
でも、なんとなくコネに対する嫌悪感があったので、その話は断りました。

今になってみれば、我ながら、かなりのナイス判断をしたと思っています。
もし、東芝に入社していたら、今頃、大したスキルは身についていなかったと思いますし、会社にしがみつくしか能のない社員になっていたはずです。
さらに、常に「東芝が倒産する恐怖」を抱えて生きることになっていたことでしょう。

日新電機で2年間、頑張れば正社員になれるはずでした

人生の2つ目の岐路は、日新電機で働いていた時に起こりました。

2008年頃に、私は日新電機の社内情報システムの一員として、派遣で働いていました。
日新電機はアットホームな会社でした。
従業員の人柄は良く、社食もついています。
給料は高くはないものの、休暇は長く労働時間も短いホワイトな会社でした。

素晴らしい会社だなと感じていて、どうやったら日新電機の社員になれるのか人事の方に聞いてみました。
回答は前向きなもので、「2年間ぐらい勤めていれば、社員になることができる」と言われました。
それを聞いた私は、「2年間、頑張ったら正社員になれるのか!」と喜んでいた記憶があります。
ただし、同時に、「今の年収300万円で2年間も頑張り続けないといけないのか」とも思っていました。
なぜなら、日新電機の社員からは、「あなたには50万円/月も払っている」と言われているものの、私の手取りは20万前後しかなかったからです。
正直、アホくさいなとしか思えませんでした。。。

将来が不安だったので、働きながら転職活動をしていたのですが、たまたま、年収400万円で新しい会社に就職が決まりました。
年収300万円と年収400万円では、かなりの差があります。
しかも、新しい職場は特定派遣の会社ではなく、請負の会社でした。
そこで働ければ、多くの経験を積めるはずです。

日新電機に勤め続けて、正社員のポジションを狙うべきか、年収400万円を取るべきか迷いました。
幸いなことに、日新電機の直属の上司も、私のことを気に入ってくれていたので、素直に現状についての相談をしました。
直属の上司は「私に残って欲しい」と言ってくれていたので、システム部の部長とMTGをすることになりました。
そこで私は、「実は転職を考えているのですが、私は日新電機のことが好きです。
2年間、派遣社員として働いた後に、正社員になれる確約があるならば、ここに残って働きます。
でも、そうでないならば、新しい転職先を選びます。」と伝えました。

部長からの返答は、「そのような確約はできない」ということでした。
そうして、私は新しい転職先と年収100万円アップを取ることにしました。

その半年後から1年後には、リーマンショックの影響が日本経済に大打撃を与えました。
日新電機で働いていた多くの派遣社員は、契約更新が終了となったそうです。

年収100万円アップの転職先を選んで、大正解でした。

まとめ

私は20代中盤からエンジニアというキャリアを始めたので、人よりハンディを背負っていました。
また、当時はエンジニアにとっては、決して優しい時代ではありませんでした。
そんな時に、何度か「大企業の一員になれるかも?」という甘い誘惑があったのですが、それらを蹴って地道にキャリアを積む道を選びました。

それを続けてきた結果、30代後半になっても手を動かせるエンジニアに成れたのかなと思っています。
決して再現性がある話ではありませんが、何らかの参考になれば幸いです。

Good luck for your engineer life!

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