ある2つのありがちな意見がある。
- お互いに助け合うことが大事だよね
- 人生は自己責任だよね
これらの意見を聞けば、誰しもが前者からは暖かみを感じるし、後者からはどことなく冷たさを感じるだろう。
それは私も同感だ。
しかし、それにはある条件がある。
それは両者が共に、低信頼社会、もしくは高信頼社会に住んでいる場合の話だ。
片方が低信頼社会、もう片方が高信頼社会にいる時には、その話は当てはまらない。
そもそも、低信頼社会とは何だろうか?
それは社会に信頼が少ない社会で、こういった特徴がある。
- 街中のトイレには、トイレットペーパーがない
- スーパーにマイバッグを持ち込めない
- 飢えに苦しむ人達がいる
- 自動販売機を設置できない
- 国民皆保険ではない
- 生活保護がない
- 社会保障が少ない
- 貧乏人は銀行に口座を開けない
このような、周りの人達を誰も信用できない社会においては、多くの人は「お互いに助け合うことが大事」「家族の絆が大事」と言わざるを得なくなる。
政府には頼れないのだから、そうなるのは自然なことだろう。
では、高信頼社会とは何だろうか?
それは社会に信頼がある社会で、こういった特徴がある。
- 街中のトイレにトイレットペーパーがある
- スーパーにマイバッグを持ち込める
- 自動販売機を設置できる
- 国民皆保険
- 生活保護がある
- 飢えに苦しむ人達がいない
- 社会保障が多い
- 銀行に口座を誰でも開ける
- 条件が揃えば、銀行がお金を融資してくれる
このように社会保障が充実している社会では、「(これだけ制度が充実しているのだから、あとの)人生は自己責任だよね」という意見が多くなる。
つまり、低信頼社会にいる人と高信頼社会にいる人とでは、観ている世界が違うがゆえに、自然に意見が異なってくるわけだ。
優しいから、「お互いに助け合うことが大事だよね」と言うわけではない。
冷たいから、「人生は自己責任だよね」と言っているわけでもない。
社会構造的に、それそれぞれの意見が出てくるのだ。
私自身、日本人に対しては「自己責任だよね」と思うけど、フィリピン人に対しては「自己責任だよね」とは決して思わない。
なぜならば、低信頼社会の厳しさを知っているからだ。
この2つの社会の違いについて知っていると、世界の見方や世界規模のアンケートに対する見方が変わってくる。
今後、「国ごとの〇〇調査」などを目にした時は、是非、この2つの社会の違いを意識して欲しい。
ちなみに低信頼社会においては、統計やアンケートといったデータそのものが怪しいことは言うまでもない(笑)