記事の内容
日本では、「家族や親友は大事です」とよく言われます。
それらは、「強いつながり」と呼ばれるものです。
でも、「強いつながり」は、それほど役に立つのでしょうか?
「強いつながり」を否定したいわけではありませんが、大人になってからは、むしろ、「弱いつながり」の方が大事な気がしています。
この記事では、私がそう感じている理由を説明していきたいと思います。
目次
「強いつながり」と「弱いつながり」
「強いつながり」とは、家族や親友といった周囲にいる心から信頼する人達のことです。
反対に、「弱いつながり」とは、ちょっとした知り合いのことです。
基本的には我々は、強いつながりが大事だと思っています。
でも、それは本当なのでしょうか?
学生時代ならともかく、周囲からの庇護の必要がなくなった大人になった後でも、強いつながりが大事なのでしょうか?
その疑問について、もう少し深く考えてみたいと思います。
熊と旅人のイソップ童話
イソップ童話を読んだことがある人ならば、「熊と旅人」を読んだことがあるはずです。
その内容は、以下のようなものです。
仲のよい2人の男が旅をしていた。
ある大きな森の中の道を歩いていると、目の前に1頭の熊が現われた。1人の男はすぐに近くの大木によじ登ったが、もう1人の男は逃げ遅れ、仕方なく地面に倒れて死んだふりをした。
熊はその男の耳元に口を当てていたが、しばらくすると森の奥に姿を消した。
木の上の男は、安心したので降りてきた。逃げ遅れた男に、「熊は君の耳に何かささやいていたようだが、何て言っていたんだね?」と聞いたところ、男は答えた。
「ああ、言っていた。危ない時に友達を捨て、自分だけ逃げるような薄情な相手とはもう別れろ」とね。
この童話は、以下のような内容を我々に教えてくれています。
童話が教えてくれること
- イザという時に、逃げるような友人とは付き合うな
- イザという時に、人間の本性がわかる
この童話は、「弱いつながり」の価値を否定して、イザという時の「強いつながり」の重要性を説いています。
でも、この童話は現代にも通じるのでしょうか?
イソップ童話が作られたのは、500年以上も前の話です。
史記に書かれている話
2000年以上前に書かれた中国の史記という歴史書にも、イザという時の「強いつながり」の重要性が書かれています。
Aという人物が、Bという浪人?に、いつも贈り物を送ります。
「肉や酒」などを度々、届けていたそうです。
でも、Bさんは、常にそっけない態度をとっていたそうです。
我々の感覚であれば、「ありがとう」「いつも助かるね」「一緒に食べよう」とAさんに声を掛けるのが普通です。
でも、Bさんは、いつもぶっきらぼうに挨拶をするだけでした。
そして、Aさんの緊急時に、AさんはBさんに頼み事をします。
それは、人の生死や国家の存亡に関わる重要な案件です。
その時に、Bさんは、「わかった、引き受ける」と頷きます。
そして、続けて、こうも言います。
今まで、そっけない態度をとっていたのには理由がある。
恩義に対して、いつも丁寧にお礼をしたとしても、それは上辺だけのものになってしまう。
なぜならば、俺は貧乏だし、Aさんに報いる術はないからだ。
俺は、そういう上辺だけのことが嫌だったから、何も言わなかった。
その変わりに、もし、このように重大な案件があれば、手を貸すつもりだった!
この話は、以下のような内容を我々に教えてくれています。
童話が教えてくれること
- 上辺だけの挨拶(弱いつながり)には、あまり価値はない
- イザという時にこそ、「強いつながり」と人間の価値が問われる
「強いつながり」だけが役立つ時代は終わっているかもしれない
上記の話は、両方とも、「強いつながり」の重要性を説いて、「弱いつながり」を軽視しています。
でも、現代においても、それでいいのでしょうか?
イソップ童話は、500年以上前に作られたものだし、史記は2000年以上も前の話です。
私は、ここ20年ぐらいで、「強いつながり」の重要性が減ってきていると思います。
その理由は、以下の二つです。
強いつながりは必要ない
- イザという時がなくなった
- 保証人の制度がなくなってきた
それぞれをもう少し、詳細に説明していきます。
イザという時がなくなった
寓話では、「イザという時」の話が書かれますが、現代の先進国では、「イザという時」が減ってきています。
少なくとも生死の関わるような事件は、一生に一度、あるかないかです。
それでは、「イザという時」を考えて、家族や友人と付き合うことに意味はありません。。。
私は友人から、「イザって時に、お前は逃げそう」とか言われたことはあります(笑)
それに対しては、「わからない」と返答しつつ、「くだらないことを言うもんだな〜。お前だって逃げるかもしれないだろう。」と心の奥で思ったものです。
何が言いたいのかと言えば、「イザという時」の反応なんて、誰にもわかりませんし、現代において、それを考える必要は全くないということです。
仮に、「イザという時にも、俺は必ず助ける!」と言う友人がいたとしても、それが履行される保証はどこにもありません。。。
保証人の制度がなくなってきた
日本で、「強いつながり」が重要視されてきた理由の一つには、保証人という制度があります。
昔は、何をするにしても保証人が必要でした。
昔は保証人が必要だった
- 会社に入社する時
- 賃貸を借りる時
- 大金を借りる時
つまり、人生の重要なイベント時には、必ず、「強いつながり」が必要でした。
でも、最近は賃貸で保証人は必要がなくなってきました。
お金は、クラウドファンディングなどで、見知らぬ人から集めることもできます。
会社に入社する時も、次第に保証人は必要がなくなってくるはずです。
「弱いつながり」が大事になってきた時代
「強いつながり」の重要性が減ってきている一方で、「弱いつながり」の重要性は高まってきています。
その理由は、以下の三つです。
弱いつながりの特徴
- SNSなどの影響で、「弱いつながり」を維持するコストがなくなった
- SNSなどの影響で、「弱いつながり」の拡散力が強くなった
- 信用力がある人は、「弱いつながり」でお金を集められるようになった
それぞれをもう少し、詳細に説明していきます。
「弱いつながり」を維持するコストがなくなった
昔は、「弱いつながり」を維持するためのコストが大変でした。
知り合いとの関係を継続するために、ワザワザ、定期的に食事にいくのも億劫です。
それで、切れてしまった繋がりも多かったはずです。
でも、インターネットとSNSが出てきてからは、それが変わりました。
今では、SNSで多くの人達が緩く繋がっています。
そして、SNSを利用すれば、「弱いつながり」を維持するためのコストは無料みたいなものです。
関係を維持するコストが無料になれば、「弱いつながり」でも関係は長続きします。
「弱いつながり」の拡散力が強くなった
インターネットがない時代では、「弱いつながり」を効果的に使う方法はありませんでした。
なぜならば、一つ一つの「弱いつながり」は、全く使いみちがないからです。
「弱いつながり」は、関係性が可視化されて、それがネットワークのように大量に繋がってこそ効果があります。
そうすることで、「弱いつながり」は橋渡しとして役に立つようになり、同時に新しい情報へのアクセスを可能にします。
「弱いつながり」は、新しいキッカケを発見しやすくするとも言えそうです。
「弱いつながり」でお金を集められるようになった
最近は、クラウドファンディングなどを通して、知り合いからもお金を集めることができます。
これは、「弱いつながり」を通して、お金を借りたり、寄付してもらうことができるということです。
まとめ
この記事では、「強いつながり」の価値が下がってきて、「弱いつながり」の価値が上がってきているという話を書きました。
いやいや、「イザという時に頼れるのは、強いつながりだけだよ」と言う人もいるかも知れません。
それは、それで否定はしません。
心理的なバリアを考えると、「強いつながり」に頼りやすいのは事実です。
でも、「弱いつながり」は、イザという時には頼れなかったとしても、仕事、転職、そして自分の生活を豊かにするためには使えます。
現代社会は、「弱いつながり」の良さを見直す時期になっています。
これからは、みなさんも、「弱いつながり」を注目してみてはどうでしょうか?
Good luck!
この記事は、これらの本を参考にして書きました。
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