日本に住んでいる人にとっては、日本の常識が自分の常識になる。
こうして文章に書くと当たり前のことだけど、多くの人達にはその話がピンとこない。
自分の常識は世界の常識であると、悪気なく自然に考えてしまっている。
それが良いか悪いかは別にして、この記事ではフィリピン社会と比較した、「日本人の命に対する関わり方」について書きたいと思う。
私がフィリピンに移住した頃に大きな衝撃を感じたことの一つに、「野良犬の多さ」がある。
フィリピンには野良犬がそこら中にいる。
街の定食屋で飯を食べていれば犬がよってくるし、歩道を歩いていてもたまに犬とすれ違う。
中には車が走っている道路を渡る犬もいるぐらいだ(車にはねられて死ぬ犬もいるけど)。
彼らは別に悪さをするわけではないので、誰も何も気にしない。
私は狂犬病が怖かったのでなるべく避けるようにはしていたけど、食事が余った時は野良犬に餌をちょくちょくあげていた。
飼い犬ではないけど、完全な野良犬とも少し違う。
寂しさを紛らわすのにちょうどいい感じの存在だ。
ある時、街を歩いていると近くから妙な鳴き声がしたので、その鳴き声の正体を探ってみた。
驚いたことに、なんと生まれたばかりの子犬達がそこにいたのだ。
「え、こんな場所に子犬???」とメチャクチャ、驚いた。
なぜならば、私は30年間以上、日本で生きてきて産まれたばかりの子犬など目にしたことがなかったからだ。
しかも、ペットショップではなくただの街中。
「こんな汚いところに新しい命が産まれていること」に感動している自分が、ちょっと不思議だった。
自分も含めて、多くの日本人は「犬の命の誕生」に関わることはない。
せいぜい、ペットショップで子犬を購入して死ぬまで世話をするぐらいだろう。
そこには自然がなく、ただ管理された犬たちがいるだけだ。
でも、フィリピンではこうした生命のつながりが街中に残っている。
よくわからないけど、なんとなく温かみを感じたことだけは鮮明に覚えている。
ちなみに、日本に野犬がいないというわけではない。
京都の桂川のあたりで野犬がいて話題になったこともある。
ただ、保健所の人達がその犬たちを捕まえて、殺処分をしているというのが現状だ。
「可愛くて従順な犬なら欲しいけど、人間に害する可能性のある犬は必要ない」というのが日本人の本音だろう。
飼い犬に対しては高級なペットフードやトリミングといった過剰なサービスをするけど、野良犬は殺処分。
犬との付き合い方は、本当にそれでいいのだろうか?と私は考えてしまう。
もちろん、フィリピンのやり方が絶対に正しいとも言い切れない。
フィリピンでは狂犬病で毎年、200人ぐらいは亡くなっている。
小さな確率ではあるが怖い話だ。
ただし、それを差し引いても私はフィリピンの方が好きだ。
そう感じているのはきっと私だけではないと思う。
話は少し変わるけど、日本人の生命との関わり方は犬や猫だけではなく、人間に対しても同様であることに気付いた。
つまり、「自分達にとって都合のいい赤ちゃんなら欲しいけど、都合が悪い赤ちゃんなら必要ない」ということだ。
日本では、望まれない赤ちゃんが毎年、15万人以上は母親のお腹の中で殺されている。
一方のフィリピンでは堕胎は禁止なので、堕胎されている赤ちゃんは非常に少ない。
その代りにシングルマザーや10代の母親は日本に比べて非常に多い。
そして、その女性達は親(赤ちゃんから見たら祖父母)と一緒に子育てをすることになる。
これはあまり望ましい理想の家族の形だとは言えないかもしれない。
でも、そうだとしても、かたや15万人の赤ちゃんを殺している一方で、不妊治療も推奨している日本人と比べるとどうだろうか?
私はそこに日本人のエゴイズムを感じずにはいられない。
自然の摂理に反するとも言うべきだろうか?
フィリピンでは、赤ちゃんは授かり物として家族ぐるみで育てていく。
日本では、大人が必要ない時に授かった子供は殺すけど、必要な時には医学の力を借りて子供を産もうとする。
途上国と言われているフィリピン社会の方が、よっぽど先進的な育て方をしているように思えてならない。
老人に対する考え方も同様だ。
「自分達にとって都合がいい老人ならば必要だけど、そうでないならば必要ない」という考え方をしている。
年金が貰える老人に関しては、胃ろうや延命治療をしても寿命を伸ばそうとしている。
でも、もしその医療費が自費ならば、どれぐらいの家族が延命治療を申し出るだろうか?
年金が貰えて医療費が安いから、つまり家族にとって都合がいいから延命をしているのだ。
これも、やはりエゴイズムだと言わざるを得ない。
犬、猫、人間といったあらゆる命を管理しようとしている日本のやり方は、本当にそのままでいいのだろうか?
「必要なものならば何としても育てるけれど、必要ないものは殺してでも切り捨てる」という考え方は、非常に怖いし危うい。
いつか自分達の身にも災厄が降り掛かってくる気がする。
というか、私達が気付かないうちに、すでに災厄は降り掛かっているのかもしれない。
そろそろ、日本人は「命を管理する」という考え方を見直すべきではないだろうか?
「命を管理する」という考え方は、日本人の精神性を徐々に蝕んでいる気がしてならない。
命に対しては過保護に接する必要もなければ、切り捨てる必要もない。
命とは、なるべくありのままの形で自然に接していきたい。