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若い時に得ておくと良いこと

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若い時に得ておくべきことは何か?という質問は、よく聞く話だ。
それに対する一般的な答えは、こんな感じだろうか?

  • プログラミング
  • 英語
  • 簿記

こういったテクニカルな答えは、決して悪くはないし、あるに越したことはないだろう。
他にも業界によっては、様々なテクニカルな答えがあるかもしれない。

ただ、そういった事よりも、私はもっと大事な事がある気がしている。
それは「拠り所」だ。
私の言う「拠り所」とは、心の支え、故郷みたいな意味合いを指している。
それは人によって異なるだろうけど、大体はこういった類のものだ。

  • 家族
  • 彼氏・彼女(との思い出)
  • 友人(との思い出)
  • 田舎の故郷

何で、私がそう思ったのかと言えば、それは私自身と家族の経験によるものだ。
ウチの兄貴は中高年の頃までは優秀だったものの、大学・大学院で少し落ち込み、そして社会人になってからは、さらに落ち込んでいった。
残念ながら、今ではフリーターになっているようだ。
「あんなに頭がよかったのに、どうして?」とは俺だけでなく、家族や親戚中が思っている。
自分が若い頃には、その理由がサッパリわからなかったし、今でもその答えがハッキリとわかっているわけではない。
でも、なんとなく、「ひょっとしたら」というものを思い付いた。
それが「拠り所」だ。
兄貴には、拠り所がなかったような気がする。

ウチの両親は、教育に熱心な体をしていたし、厳しい親だった。
かといって、別に特別な何かを子供たちに与えていたわけではなく、ただただ厳しいだけだった。
テレビは、ほとんど見たら駄目だったし、音楽も禁止だった。
そして親と喧嘩をすると、「子供が好きなこと」が一定期間、禁止された。
何かあったら、ゲーム、趣味、とにかく「子供が好きなこと」を禁止することが、親のやり口だった。
だから、私は絶対に、親には好きなことを話さないようにして、好きなことをバレないようにしていた。
おかしな親だったと思う。
まぁ、何が言いたいのかと言えば、我々、兄弟にとっては、親が拠り所ではなかったということだ。

でも、ウチの兄貴は優秀だったせいか、そんなやり方でも順調に育っていった。
富山の公教育が良かったせいもあるだろう。
実は、富山は全国でも有数の公教育が素晴らしい地域だったりする。
そんな兄貴は、富山で県下一と言われる中部高校に合格確実と言われていたものの、中部高校には行けなかった。
なぜならば、中3の二学期に、親の都合で大阪に引っ越したからだ。
父親は自分の都合で転職をして、さらには単身赴任を選ばなかった。
あれだけ親が、「勉強、勉強」と子供に繰り返し言っていたのに、結果が出る寸前に大阪に引っ越したわけだ。
ハッキリ言って、クレージーだったと思う。

それでも、何とか大阪の千里高校という上位の高校には受かったものの、その影響は大学受験に出たように見えた。
富山と大阪では、人の質も、教育の質も大きく異なる。
子供にとって、その変化は非常にストレスだったことだろう。
兄貴は大学受験では2浪して、地方国立大学に入学した。
それから大学院まで卒業して、社会人になった。

社会人に出るまでの兄貴の人生を簡単にまとめると、こんな感じだ。

  1. 小学校5年生までは、神奈川
  2. 中学校3年生までは、富山
  3. 高校3年間と浪人2年間は、大阪
  4. 大学6年間は、北海道

これが特別に不幸な人生だとか吹聴するつもりはない。
ただ、こんな風に引っ越しを繰り返していると、兄貴には自分の拠り所を作る機会がなかったんじゃないかと、ある時にフト、気付いた。
なぜならば、それは自分自身も時折、感じることがあったからだ。

ただ、自分の場合は偶然にも、拠り所を作る機会があった。
それは世間一般的には、決して有益な時間と呼ばれるものではなかっただろう。
なぜならば、浪人生なのに、毎日、毎日、友人達と麻雀ばかりをしていたからだ(笑)
時間とお金の無駄使いをしていたことは、間違いない。
でも、その時に一緒に遊んでいた10人にも満たないグループとは、長い年月を経た今でも繋がっている。
そして、その「浪人の時に遊んだ一年間」と「その後の付き合い」が、社会人になった私を支えてくれた気がする。
もし、それらが無かったら、私は途中で心が折れて、引きこもりかニートになっていたかもしれない。
今の兄貴の姿は、自分だったかもしれない。

だから若者には、長い人生を生きる上で、そういった「拠り所」を大切にして欲しいと思う。
それが、何かは私にはわからない。
家族かもしれないし、友人かもしれない。
はたまた、別の何か、かもしれない。
でも、そういった存在があり、その存在が未来の自分を支えてくれるかもしれないという事実を知っておいて欲しい。
それを知っていれば、人生を生きる上でのアプローチが、きっと変わってくるはずだ。
決してテクニカル的な事だけに、重点を置かないで欲しい。

この記事とは直接の関係はないけれど、「東京エイティーズ」という漫画の中に書かれている「特別で死ぬほど楽しかった1年」が、主人公達にとっての拠り所であり、私にとっては全く勉強しなかった浪人生時代だった。

あと、矢口高雄さんにとっては、故郷が拠り所だったんだろうなと、これらの漫画を読んでいて思いました。

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