記事の内容
この記事では、日本に疲れてフィリピンで働いた経験を持つ、かぬーさんとジョージのフィリピンに関する雑談を紹介していきたいと思います。
目次
二人の簡単な自己紹介
この記事を読んでいる方の多くは、二人のことをあまり知らないと思うので、まずは自己紹介から始めたいと思います。
かぬーさん
1年半ぐらいの経験を持つRailsエンジニア。
大学の専攻は経営学で、エンジニアになるには人より遅いスタートだったので、一人前のエンジニアになるために現在、奮闘中です。
エンジニアになる前は、営業、ソーシャルゲーム/業務アプリ企画などをやっていました。
フィリピンのマニラでブリッジ役として働いていた経験があります。
親会社とフィリピンの会社が資本提携を解消したタイミングで一時帰国中
時間、場所、言語に縛られない働き方を目指して、27歳からプログラミングを始めました。
将来の夢はヒモになること。
かぬーさんのtwitterはこちらです。
ジョージ
10年ぐらいの経験を持つRailsエンジニア。
フィリピンのマニラとセブでブリッジSEをしていました。
今はフリーランスとして働いています。
サラリーマンとして働き続けることに疑問を感じ始めて、自分の時間の使い方について試行錯誤しています。
今までは仕事一筋だったので、これからは人間関係を充実させていきたいと思っています。
ジョージのtwitterはこちらです。
二人が出会った経緯
今さらだけど、そもそも我々は、どうやって知り合ったんだっけ?
かぬーさんとは不思議な縁があるよね。
少し時期はズレていたけど、二人ともフィリピンのマニラにあるBGCという街で働いていたしさ。
かぬーさんのチームで働いていたフィリピン人エンジニアの何人かが、会社をクビになったあとで、俺が働いている会社に面接に来てさ(笑)
マニラは狭いなって思った。
知り合いを辿ると、すぐに共通の知り合いとかにぶつかりますからね(笑)
ところで、うちから御社に行ったエンジニアはどうでしたか?
日系企業の教育は流石だなって、ちょっと感動したわ。
でも、一方で「何だかな〜」って思うところもあったかも。
昼休みとかに、ソファーでいつも二人でニャンニャンしててさ。
別に、かぬーさんの教育が悪かったって言うてるわけではないけどさ(笑)
まぁ、今日はその辺りについて話していきましょう。
それは、教育ではどうにもならないと思います。(笑)
はい、お願いします。
かぬーさんがフィリピンで働くことになった経緯
それで、東南アジアでの就職を目指して、当時、働いていた会社を辞めました。
そこから、まずはフィリピンのセブ島に3ヶ月間の語学留学を経て、そのままマニラに就職っていう感じです。
生活はどんな感じやった?
でも給料はそれなりに良くて、額面で14万ペソ(約30万円)だから、そこそこの暮らしはできました。
ただ、フィリピンで14万ペソだと、最高税率に近くなるから、税金が高くてキツかったです。
3割近くは税金でもっていかれました。
セブだと、5万ペソの求人とかがザラにあるから、辛そうだなって。
そういった会社では働きたくないですね。
僕は、そういう意味ではラッキーでしたが、1年半後にはフィリピンの会社が資本提携を解消されてしまったのが辛かったです。
そのせいで、会社からリストラされることになりましたから。
お疲れ様でした。。。
ジョージがフィリピンで働くことになった経緯
2011年ぐらいにオンライン英会話を始めて、毎日、講師と話していると自然に仲良くなるやん?
そうすると、フィリピンに興味が湧くやん?
そうして、たまに旅行で行ったらフィリピンが好きになり。
2015年ぐらいに、いい求人があったから、思い切って転職することにした。
大手の日系企業やと、車とお抱え運転手がついてたりするやん?
そういうのは全くなかった。
でも、物価が安かったから、楽はできたかも。
フィリピンで働いて驚いたこと
(carpediemとは、「今を生きる」の意味です。
フィリピン人は、今を楽しむことが本当にうまいなって。
将来のこともあまり考えない。
貯蓄もしない。
それでいて、楽観的。
南国気質っていうんかな。
給料も安いし、満足ゆく生活をしているようには見えないけど、常に笑顔を絶やさない。
あの精神の半分ぐらいは、日本人も見習った方がいいと思う。
家族制度が強く残っている社会も悪くないなって思うわ。
僕が一番、驚いたのは会社が、従業員のリストラを発表した時の反応。
日本人だったら、その場が悲壮感で溢れかえると思うんですよ。
でも、彼らはリストラを学校の卒業みたいな感じで受け止めていて。
「卒業だね」って言って、みんなで記念写真を取り始めたんですよ!
マジで「ありえない」って思いましたね(笑)
俺は日本の会社でリストラ発表の場にいたことがあるけど、その場は静まり返ってたわ。
精神構造に関して言えば、日本人とフィリピン人は全くの別物だと捉えた方がいいのかもしれない。
だから、やっぱり一緒に仕事をして苦労をしたことも多々ありましたね。
じゃあ、次はフィリピン人と仕事をして苦労した点について教えて。
フィリピンで働いて苦労したこと
曖昧に物事を伝えると、曖昧にしか物はできてこない。
当たり前と言えば当たり前だけど、日本人だと、それで上手くいくことの方が多いんですよね。
でも、フィリピン人にはそれが通じない。
それに懲りてからは、仕事のタスク化と視覚化をシッカリとするようにしました。
日本人は、なんだかんだで優秀な人が多いし、基礎的な能力が高い。
でも、フィリピン人が相手だと、そもそも言語が違うからコミュニケーションの段階で2割ぐらいは伝達が漏れちゃってるんだよね。
そこは、俺も苦労したわ。
英語でのコミュニケーションは難しいなと思いました。
あと、僕がマニラで働いている時は、まだ僕はエンジニアではなかったんですよ。
その状態でフィリピン人エンジニアをマネージメントしてたんですけど、彼らの工数見積りは怪しかった気がします。
当時は全くわからなかったのですが、今になってみれば、「あのタスクにホントにそんなに時間が掛かったのかな?」って思い返す時があります(笑)
それは怪しいかもしれない(笑)
一旦、ボスだと認めてくれたら、従順なので付き合いやすいところもあるんだけど。
ただ、みんな若いせいか、プログラミング能力はあまり高くないんだよね。
特にLinuxやサーバー周りに関する知識は低かった。
あとは、あまり頑張って残業はしてくれないから、負担は全部、俺に回ってきたのは辛かったかも。
プロジェクトマネージャー、サーバー保守、コードレビューの全てが自分の仕事でさ。
組織自体の問題というのも大きかったけど、周りが日本人だったら、もう少し違った結果になっていたと思う。
それで、ブリッジSEに負担がのしかかるというのは、よく聞く話かも。
あ、あと、遅刻が多いフィリピン人がいて困ったな。
何度、言っても遅刻をしてきてさ。
昼の14時までに出社すればいいのにも関わらず(笑)
しかも、経験が浅い1年目のエンジニア。
スキルがあるなら見逃してもよかったんだけど、スキルがないのにそれだと、ただのお荷物なので。
フィリピンだと、簡単には人を解雇できないから、そういった手続きを踏む必要があって。
それで態度が改まるかなって思ったけど、3ヶ月後には、見事に4回遅刻して、退職になってた(笑)
しかもさ、俺と彼はFacebookで友達だから、ある程度は行動がわかるやん?
遅刻する日の前日は、大体、徹夜して遊んでたのがわかるんだよね(笑)
こいつはアカンなって思ったわ。
そういったところを理解した上で、フィリピン人と付き合っていかないと駄目なんだろうって思う。
それにしても、タイトルには威勢のいいことを書いたものの、結局、俺らって、フィリピンに行っても消耗したよね(笑)
結局、日本に戻って体制を立て直してますからね。
次の記事では、日本で消耗しないためにも、エンジニアの年収の上げ方を教えて下さい!
まとめ
とりとめもない、雑談を読んで下さってありがとうございました。
くだらないことも沢山ありますが、おかしな魅力もあるのがフィリピンです。
是非、一度、まずは観光にでも行ってみて下さい。
また、この記事に関することで質問があれば、いつでもTwitterで受け付けています。
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