日本人は生産性が低いといった日本人をdisる言葉を、たまに耳にします。
でも、それは何をもって発言しているんでしょうか?
日本人には欠点があります。
でも、日本人は生産性は低くないし、能力も高いです。
この記事では、そういった議論について、まとめようと思います。
日本人が、「自分達は駄目なんだ」と思う理由は、主に以下の3点かと思います。
それらについて、解説していきます。
- iPhoneなど、海外製品の購買力が落ちてる
- FAXを使うなど、日本人は生産性が低い
- 第二次大戦で日本は悪いことをしたと思っている
iPhoneなど、海外の商品の購買力が落ちてる
最近になって、iPhoneなどの海外製品が大幅に値上がりしたので、日本の国力が弱くなったことを実感した人も多いはずです。
そして、「やっぱり日本の生産性は低いんだ」と思ったかもしれません。
でも、単純にそうだとは言えません。
そもそも、生産性とは何でしょうか?
それは、一人の人間が生み出す、アメリカドルベースのお金の量です。
この定義では、問題が2つあります。
- 老人の活動は、若者に比べて劣る
- 為替レートが低い国に住む人間の生産性は、低く計算される
これでは、高齢化が進み、為替レートが弱い日本に住んでいる人の生産性は、必然的に低くなります。
つまり、違う国に住む人間が、生み出す価値を比較できていないということです。
ですから、もし、国籍ごとの生産性を比較したいならば、各国の同じ世代の人達をアメリカに集めて、その上で比較する必要があります。
それをしないで、「日本の生産性が〜」と言っているのは、ただの勘違いです。
アメリカはラーメン一杯が2千円ぐらいするらしいので、そこで働く従業員の給料も必然的に高くなります。
ですから、数字上だけは、アメリカで働く従業員の生産性が高く表示されているのでしょう。
でもだからといって、日本人の従業員がアメリカ人に比べて、劣っているという話ではありません。
むしろ、サービス自体は日本の方がいいと思います。
ちなみに、ノーベル賞の数は25で、世界5位です。
これからも、日本人が優れた民族であることがわかりますね。
FAXを使うなど、日本人は生産性が低い
それでも、「日本は未だにFAXを使っているじゃないか」と言う人もいるかもしれません。
それは確かに非効率ではありますが、FAXを使っている場所ばかりでは、ありません。
「FAXを使っている」というのは、あくまでも日本の一部です。
それに、あらゆる国において、アラを探せば、悪い所はいくらでも見つかるでしょう。
例えば、アメリカのサンフランシスコでは、「950ドルを超えない万引き」は逮捕されないそうです。
ですから、多くの人達が万引をするので、多くのスーパーが閉鎖しています。
イギリスの映画では、ヤマト運輸のような会社の配達員が、配達中に強盗にボコられて荷物を盗まれていました。
きっと、そういう事件が一般的なのでしょう。
トルコの地震の後は、略奪が多発して、治安が大幅に悪化しているそうです。
フィリピンやタイなどの途上国では、あらゆる手続きが遅くて、いい加減です。
そういった国々の人達と比べて、日本人の生産性が劣っているとは、とてもじゃないけど考えられません。
ですから、同じ年齢で、同じ条件・場所で働く人同士を比較すれば、日本人の生産性は非常に高いと思います。
日本が、やれている事を書き出してみましょう。
- 安心して水道水が飲める
- 新幹線とリニアモーターカーがある
- 自動車を作って、世界中に輸出している
- バイクを作って、東南アジアに輸出している
- 原発も作れる
- 都内の空気が汚染されていない
- 女性が夜、安心して街を歩ける
- 子供が一人で歩いていても、誘拐されない
このような国は、世界でも、なかなかありません。
もしあれば、是非、教えて下さい。
第二次大戦で日本は悪いことをしたと思っている
最後に、歴史問題です。
教育を受けた時代や場所にもよりますが、日本は愚かで悪いことをしたと思っている人達が、日本にはいます。
でも、それは誤解があります。
確かに、「勝てない戦争」をアメリカとしたことは愚かですが、それで戦前の日本の全てを否定する必要はありません。
戦前、日本は世界で2位の軍事大国でした。
空母同士の戦いをしたのは、日本とアメリカが世界初です。
第二次世界大戦において、イギリスやオランダには勝利しています。
ソ連とは、第二次世界大戦前のノモンハン事件では痛み分けで引き分けています。
経済面においては、フィリピンのダバオでは驚くべき成果を出してました。
めちゃくちゃ、働きものですよね!
ダバオの原住民人口は、約20万人であったが、約1万7000人の日本人が国税と地方税の半分を納めていたという。
台湾の統治についても、1904年10月10日発行に発行されたNYTimesにて、日本の統治が絶賛されています。
日露戦争の後の記事です。
日本はロシアに戦争で勝ったけど、台湾の統治を見ていると、それも納得できるという感じの話です。
ですから、歴史的にも、日本はスゴい国であったことがよくわかります。
「これは明らかに素晴らしい、前例のない記録である。」とベタ褒めされています。
JAPAN'S WORK IN FORMOSA 1904年10月10日発行
日本がロシアとの戦争で示した効率性の証明は、あまりにも説得力があり印象的であるため、戦争での効率性を高めるための準備が伴う高度な文明状態を忘れがちである。
また、日本が台湾で行っている驚くべき仕事も見落とされがちだ。
この仕事は、平和と戦争の両面で、あらゆる資源とあらゆる技術を駆使して行われる。
ロンドン・タイムズ紙の特派員からの最近の手紙には、その任務の性質と、達成された成功の種類と程度が、かなり長く、詳細に述べられています。
それはいくつかの重要な点で、私たちがフィリピンで想定しているものと非常に似ていたので、検討する価値は十分にある。
9年前に日本が中国から台湾を占領したとき、約250万人の人口は、内陸部では略奪者の一団に嫌がらせを受け、略奪され、海岸では大部分が海賊で構成されていました。
日本軍の最初の仕事は、海賊を制圧し、内陸部の秩序を確立することであった。
これには6年近くかかったが、その間に他の目的がおろそかになることはなかった。
最も計画的に進められたのは、道路建設、衛生管理、教育、農業の改良と産業の導入であった。
現在までに1000マイル以上の道路が建設され、95マイルの鉄道と37の駅が設置され、125マイルの軽便鉄道が敷設され、1400万ドルが充当された大規模な鉄道システムの計画が調査され地図に示された。
電信と電話線が導入され、87の郵便局が開設され、1903年には1300万通以上の手紙と33万通の為替を取り扱った。
衛生面では、主に井戸を使った純水の供給、人口集中地の水道、排水の改善、訓練を受けた医師の計画的導入(すでに200人ほどが島にいる)、病院の設立、原住民への衛生管理の要点の指導に力を注いできた。
これらの対策が有効であることは、1900年から1903年にかけてペストによる死者が2,619人から606人に減少したという事実が証明している。
島の主産物は、茶が5倍、米が10倍、樟脳が125倍と顕著に増加し、以前は浪費されていた樟脳油も今では収益性の高い製品となっている。
1899年から1901年にかけて、石炭の産出量は100パーセント、銀は250パーセント、金は7倍に増加した。
政府の一般収入は、1896年の約135万ドルから、1903年には600万ドル以上に増加した。
通貨は、銀を重さで渡す古い銅貨から、日本の通貨制度に変更された。
貯蓄銀行(現在は郵便局)の預金は、1896年の114,000ドルから382,000ドル以上と、3倍以上に増えている。
人口は、1897年の国勢調査以来、約250万人から1903年には300万人以上、つまり約20%増加した。
これは明らかに素晴らしい、前例のない記録である。
まとめ
この記事を読めば、日本はスゴい国であることが、わかってもらえたはずです。
ただし今の日本は、稼いだお金のほとんどを医療に注ぎ込んでいるため、サラリーマンの税金が高くなり、国としても成長できなくなっています。
また、日本は村社会で嫉妬心が強いせいか、「才能ある人を活かす能力」は低い気がします。
それらの問題は非常に残念ですが、日本人の能力をそんなに卑下する必要はないかと思います。
もし、この記事に疑問があれば、世界を旅してみて、自分の目で事実を確かめてみて下さい。
以下は、台湾の記事の原文です。
JAPAN'S WORK IN FORMOSA Published 10/10 in 1904
The proofs of efficiency given by Japan in her war with Russia are so convincing and impressive that we are apt to forget the high state of civilization which the preparation for that efficiency in war involves.
We have been led also to overlook the remarkable work she has been doing in Formosa, where her task heavily tailed all resources and all her skill in the walks of peace as well as war.
A recent letter from a correspondent of The London Times sets forth at much length and in detail the nature of the task and the kind and degree of success that has been attained.
It was in some important regards so like that we have assumed in the Philippines that it is well worth considering
When Japan took over Formosa from China nine years ago the population of some 2,500,000 were harassed and plundered in the interior by bands of marauders and on the coast was largely made up of pirates.
The first work of the Japanese was to suppress piracy and establish order in the interior.
This took nearly six years, though other aims were not neglected in the meantime.
The objects most systematically pursued were road buildings, sanitation, education, and the introduction of improved agriculture and of industries.
Up to the present time more than a thousand miles of roads have been constructed, 95 miles of railroad, with 37 stations, were provided;125miles of light railways were laid, and a plan surveyed and mapped out for an extensive system of railways for which $14,000,000 have been appropriated.
The telegraph and telephone wires have been introduced and 87 Post Offices have been opened, which in 1903 handled over 13,000,000 letters and some 330,000 money orders.
The efforts in sanitation have been directed to providing pure water, primarily through driven wells, with waterworks in the centres of population, toward the improvement of drainage, the systematic introduction of trained doctors, of whom some 200 are already in the island; the establishment of hospitals and the instruction of the natives in the essentials of hygiene.
A practical proof of the efficacy of these measures is seen in the fact that the deaths from plague declined between 1900 and 1903 from 2,619 to 606.
The staple products of the island have increased in a notable degree tea five fold, rice 10 per cent, camphor 125 per cent, while camphor oil, formerly wasted, is now a profitable product. Between 1899 and 1901 the output of coal increased 100 per cent, of silver 250 per cent and of gold sevenfold.
The general revenue of the Government advanced from about $1,350,000 int 1896 to over $6,000,000 in 1903.
The currency has been changed from old copper cash with silver passing by weight to the monetary system of Japan.
The deposits in savings banks-postal now-have increased from $114,000 in 1896 to over $382,000, or more than threefold.
And the population has grown since 1897, when the first census was taken, from about 2,500,000 to over 3,000,000 in 1903, or about 20 per cent.
This is plainly a splendid and an unprecedented record