日本の近代史を学んでいて、よく考えることがある。
- アメリカとの戦争は、避けられなかったのか?
- 中国戦線から撤退はできなかったのだろうか?
- 俺がその時代にいたら、戦争に反対できただろうか?
正直、俺が戦争に反対できたかはわからない。
当時の世論はイケイケだったから、難しかったかもしれない。
ただし、原油をアメリカから輸入している以上は、アメリカを敵に回したらマズい事は、子供にでもわかる理屈だ。
かの石原莞爾も日中戦争の拡大には反対していたし、支那事変の戦争反対という結論までは、私も辿り着けたかもしれない。
そんな事を考えながら、俺が誓った事は「政府や世論が、第二次世界大戦と同じような過ちを犯しても、俺だけは間違えないようにしよう」ということだ。
少し話は違うけど、最近になって、1994年のルワンダ虐殺のドキュメンタリーを観た。
100日間の間に、およそ100万人ぐらいが殺されたそうだ。
その中で、住民を殺していた人の意見が紹介されていた。
- あの時は、政府がラジオで虐殺を呼びかけていた
- あの時は、そういう雰囲気で仕方がなかった
その意見は、最近のコロナ禍におけるワクチン接種について、友人と話した事を思い出させた。
俺は、コロナワクチン接種に関して、個人の接種に文句を言ったことは一度もない。
でも「コロナワクチンを打たないならリストラする」とか、「コロナワクチンを打たないなら、看護学校に通う生徒に研修を受けさせずに卒業もさせない」という話には大反対だった。
なぜならば、個人の自由が著しく侵害されているからだ。
当時の話を今になって友人と話したら、返答は以下のようなものだった。
- あの時は、政府や病院がそういう方針だったから仕方がない
- あの時は、そういう雰囲気で仕方がなかった
つまり、ルワンダ虐殺に参加した人達と、コロナワクチンをみんなに打たせる事に納得していた人達は、ほぼ同じ内容のことを言っているのだ。
そして、おそらく第二次世界大戦が終わった後に、国民にインタビューしたら、同じ事を言っただろう。
- あの時は、政府や軍部が戦争拡大の方針だったから仕方がない
- あの時は、そういう雰囲気で仕方がなかった
我々は、いい加減に学ばなければならない。
- 政府が正しいとは限らない
- 政府や世論は暴走する時がある
- 「そういう雰囲気で仕方がなかった」で話を終わらせてはいけない
そして、俺は政府が間違った判断をしている時でも、正しい判断をできる人でありたい。
可能ならば、政府の間違いを止めさせたいとも思う。