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秘密の町の少女アセリのレビュー(ソ連が崩壊した時の話)【書評】

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記事の内容


私がこの本に興味を持った理由は「共産主義とはどのような世界だろうか?」「共産主義の末期はどうなっていたんだろうか?」と疑問に思ったからです。
その疑問を調べても「ペレストロイカ」といった小難しい話ばかりがヒットして、「庶民の生活が実際にどうなっていたのか」を説明している本はほとんどありませんでした。
その時にフト手にした本が、「秘密の町の少女アセリ 〜私が生まれ育った中央アジアのソ連の記憶〜」でした。
この本は、私の疑問に応えてくれる本でした。
この記事では、この本の中で気になった描写をいくつか紹介していきたいと思います。

ソ連では税金がなかった

ソ連では、税金という制度はなく、教育と医療と住宅は無料だった。
学校に払う学費というものは存在しないし、病院にはお会計の窓口がない。
そして、家は国から支給される。
だから、ソ連人には「家賃を払う」とか「不動産を売買する」という概念がそもそもない。

割とビックリしたのが、この記述でした。
税金がないというのは、夢見たいな生活ですね。

ソ連では男性も女性も平等に働いていた

ソ連では男性も女性も平等に働いていたから、子どもが1歳になった時から希望すれば誰でも必ず保育園に子どもを預けることが出来る。

今の日本からすると、これも夢見たいな生活かもしれません。
でも、これは専業主婦という概念がなく、女性もシッカリと働かないといけないという概念の裏返しなのでしょう。

ソ連には資本家というものが存在しない

ソ連には資本家というものが存在しないので会社というものも存在しない。
つまり全てが国営で、本も全て国が出版していた。
だから出版社というものも当然存在しない。

出版社が存在しないということは、なんだか不気味に感じました。
これは国民の思想を、国が管理できるということを意味してるように見えるからです。

ソ連は素晴らしい国

ソ連は世界一大きくて強くて正しくて、国民を大切にして幸せにする国。
東ヨーロッパの国々やキューバやベトナムが社会主義国家になることに対してソ連は貢献してきたし、宇宙開発や科学研究については世界一の技術があるし、製造業の技術も高くて生産量は世界一。
周りの大人たちはそうやって誇らしそうに話すし、実際にテレビや新聞では私たちの国であるソ連の素晴らしさについて生き生きと報道されている。
ソ連という大きな強い国に所属しているソ連人であることが、私たちのアイデンティティそのものだった。

なんだか、少し前の日本を見ているようでした。
日本でも、「日本は素晴らしい国だ」と喧伝することが多いように思います。
でもそれにも関わらず、日本は年々、貧乏になっています。
「誇らしげに国を語る」というのは、どこの政府もやっていることなのかもしれません。

ソ連では宗教は禁止されていた

学校で私は「宗教」という概念を習った記憶はない。
世界には色々な宗教や信仰があるということも習っていない。
そのかわり「宗教とは阿片のようなものだ」というカール・マルクスの言葉を習ったぐらい。
レーニンのような人になることを一生懸命目指している子どもの私に、その言葉にはどんな意図があるのか、深く考えることはなく、ただ暗記していた。

国では、宗教を否定していたけれど、大人自身は何らかの信仰心を持っていたらしい。

祖母は新月の日になると毎回欠かさず新月に向かって3回お辞儀をしていた。
その時の祖母の敬虔な姿は、とても印象的だった。
あれは、私が学校では教わらなかった「祈り」というものだったのだと思う。
宗教が禁止されていたソ連でも、こうやって大人たちは何か大切な「祈り」を持ち続けていたのだとと思う。

このくだりは、なんだか示唆深い話だ。
私自身、何か特定の宗教を強く信じているわけではないけど、宗教というか「敬虔な気持ち」を持つことは、大事なことなんだと思わされた。
日本人は無宗教と言われることもあるけど、その根底には神道や仏教を持っている人が多い。
そういった根底部分も含めて、宗教を完全に否定することは、非常に怖いことなのかもしれない。

日常生活に必要なモノが少しずつ手に入りにくくなってきた

日常生活に必要なモノが少しずつ手に入りにくくなってきた。
それは突然そうなったのではなくて、少しずつそうなった。
ゆっくりと時間をかけて、毎日あった肉や卵が3日に1回になり週1回になり、1年前と比べるとそういえば減ったな、と気付く程度。
ゆっくりとした変化に対する人の意識は、割と鈍感だ。
「大丈夫だよ。心配ない。」周りの大人たちは皆そう言った。

いわゆる、「ゆでガエル」の話だ。
ゆっくりとした変化に人は弱い。これはシッカリと覚えておきたい言葉だ。
今の日本でも、インフレが少しづつ進行している。
ゆっくりとした変化は、怖いことが起こる前兆なのかもしれない。

ソ連にも物乞いはいた

まず、路上で失業者のような人たちが薄汚れたコートに包まって困り果てて座り込んでいるのを何度も目撃した。
そして、その人たちは、路上でポイ捨てされたタバコの吸殻を拾って集めてきたものを、1リットルのガラス瓶に詰めて、通りを歩く人々へ「買ってくれませんか?」とほとんど物乞いのような状態で売っているのだった。

ソ連は全ての人に平等だと習ったし、平等だと思っていたし、信じていた。
でも、レニングラードで見てしまった人や物事は、何かそれを大きく覆すもので、15歳の私の心に重くのしかかり、息が苦しなるほど悩んだ。

大人は誰もそんな話をしていないし、学校の先生も友達も何も言っていない。
もしかしたら自分が間違っているのかもしれない。
だから、これはなかったことにして、旅行中も旅行から帰ってからも、友達にも先生にも誰にも私のこの気持ちを話すことはなかった。

いるはずのない物乞いがソ連にもいた。
そして大人たちは、それに触れようともしない。
国家に矛盾があり、大人がそれに気付かないふりをしているとい状態は、危険信号なのかもしれない。
それは、今後の日本にも十分に起こり得る話だろう。

インフレとクーポン券

この頃にはいよいよモノが本格的に不足してきて、生活必需品については「タロン」というロシア語で“クーポン券”という意味の紙が配られるようになった。

現金は持っていても、買うものがない。
そして、インフレで毎日値段が上がるから、今日買えても明日買えるとは限らない。

こんな状態でも、最初は誰一人と文句を言う人はいなかった。
ソ連は自分も含めてみんなで協力して働いて作っている国だから、状況が良くないのも自分たちにも責任がある。
だから、ソ連人皆で力を合わせて国のために頑張ろう、と思っている人が多かった。

インフレとクーポン券の話は怖いなと思った。
戦後の日本もこんな感じだったのだろう。
将来の日本で同じようなことが起きるとは思いたくないけど、大幅なインフレが起きる可能性は十分にあると思っている。

ところで、ソ連人は意外と愛国心が強かったのかな?
国が危機的な状況になると、政治家はこうやって愛国心を鼓舞するのかもしれない。
これは将来の日本でもありそうな話に思える。

みんなが喧嘩をするようになった

もう、ソ連という国は機能していない、自分たちで新しい国を作ったほうがいい、と考える人たちが急増した。
そうなると、100以上の民族が今までソ連人として平等に仲良く暮らしていたけど、もうソ連という枠組みにこだわるのではなく、自分たちの民族のことを第一に考えたほうが良いのではないか、と思う人が増え始め、お互いにぎくしゃくしてきて、喧嘩をするようになった。

行くところまで行き着くと、結局、みんな「自分達のことは自分達でやる」という「小さな政府」を好むのだろう。
日本で同じことが起きた場合、どのようにみんなが考えるのか気になる所だ。
日本は実質、単一民族だから行政を分割するのも難しい。

考え方が180度、変わった

私が小さい子どもの頃から教えられてきたレーニンという素晴らしい人は素晴らしい人ではなくなって、過去の間違った考え方の人となった。

国から与えられていた仕事がなくなり、お金もないしモノもない。
社会主義ではない社会、つまり、自分で仕事を見つけたり、会社を作ったり、自分の技術の提供と交換にお金をもらったり、何か物を売ったり、あるいは会社に雇われてお金稼いだりという社会をそもそも知らないソ連人

社会の大きすぎる変化が個々人へもたらした心の痛みはどこにも届かず、解決方法は誰も教えてくれず、それでも、模索しながらなんとか立ち上がるしかなかった。

自分のことは自分でどうにかしなければ、と気付く人が増え始めた

自分達が信じていたレーニンが正義から悪に180度、変わった。
国から与えられていた仕事がなくなった。
きっと、大人にとっては、とてつもない変化だったはず。
これは、今でも、公務員のような一部の日本人には当てはまる話かもしれない。
大事なことは、自分の頭で善悪を考えて、自分の力でお金を稼ぐということなのだろう。

人気の学部が変わった

ソ連時代の大学で人気の学部は、歴史学部だった。
でも、ソ連ではなくなってからは、時代の変化に敏感な若者たちはお金のことを勉強したくて、経済学部が一番人気になった。

国に守られている時に若者が勉強したいことと、市場経済になった時に若者が勉強したいことは異なるのは、興味深い変化だ。
これは、将来の日本でも起こるかもしれない。
これからは、情報学部の人気が上がっていくのだろうか?

言語を学ぶことがチャンスにつながった

「アセリ、これからはフランス語よりも日本語を勉強したほうが将来性があると僕は思っている。
あなたは、日本語を勉強しなさい。」
この叔父の言葉が私の運命の分かれ道だった。

日本などの国際関係機関や会社が続々と入って来ていた。
少しすると、日本語を勉強していた私たち学生には、キルギスに駐在している日本の商社からアルバイトの依頼がいくつか入り、学生のうちから日本語を使って仕事をすることができるチャンスに恵まれた。

叔父の言っていた日本語を勉強することの「将来性」という意味を私は理解し始めた。

言語を学ぶことは、将来性に繋がることもありそう。
これは今の日本人にとっては、英語や中国語がそうなのだろう。

彼女の運命を決めた考え方

4年生の時に英語のクラスを希望したのにフランス語のクラスになり、大学でフランス語を勉強したかったのに、日本語学科に行くことになり、なぜか希望は叶わなくても、目の前に現れる運命に逆らわずその中できちんと努力していくことで良い結果が生まれることもあるのだと思う。

どんな運命であっても、悲観的になりすぎずに真面目に努力することで開ける道もある。
これは私がずっと実践してきた考え方。

新しい時代を迎えることになったキルギスで、私の人生も全く新しい方向、つまり、日本語で仕事をして日本で生活するという運命へ向かい始めたのだった。

これらの文章を見ているだけで、彼女が素晴らしい人物であることがわかった。
これから日本人が歩む道は、苦難であることが確定している。
そんな状況の中で、アセリさんのこの考え方は、日本人にとって大切なものになるだろう。


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