記事の内容
この記事では、幕末に、日本人がアメリカ人を始めとする外国人を嫌いになった理由の一つを説明します。
その理由は、庶民が苦しめられた3倍のインフレでした。
江戸時代の幕末には、突然、発生した攘夷という概念
日本人は歴史の授業で、「攘夷」「生麦事件」という単純化されたキーワードと物語について習います。
それらの2つは、「鎖国を続けていた日本人は、外国人のことが嫌いなので、外国人を斬り殺す」という単純な物語にまとめられています。
でも、それだけだと、大きな一つの疑問が浮かんできます。
なぜ、日本人は外国人のことを嫌いになったのでしょうか?
その説明がないと、幕末期(1850年前後)の日本人は狂っていたかのように見えます。
でも、1850年と言えば、わずか170年前の話であり、高祖父(祖父の祖父)ぐらいの世代です。
私には、その時代を生きていた日本人が狂っていたとは思えません。
攘夷が生まれた原因
攘夷(外国人をしりぞける)という概念が生まれた理由は、実は明確にあります。
それが原因で日本人は、外国人を嫌いになりました。
下田条約という不平等条約
ことの発端は、1854年の下田条約にあります。
この時に、外国の通貨と日本の通貨を交換するレートを決めました。
今で言えば、「1$は110円とする」というレートのことです。
そのレートが、不公平であるために、日本は多くの金を失いました。
さらに簡単に言うと、こういうことです。
日本で、メキシコドル→日本の銀貨→日本の金貨に両替します。
それを海外で、日本の金貨→メキシコドルに両替すると、銀貨が3倍に増えています。
下の図だと、交換するだけで4枚の銀貨が12枚に増えていることがわかります。
この不公平な条約のために、多くの金が海外に流出しました。。。
日本を襲った3倍のインフレ
幕府もしばらくして、このカラクリに気付いて、金の含有量を減らした小判を発行することにしました。。。
それが、1854年から6年後である、1860年の万延小判の発行です。
この小判の金の含有量は、以前の小判に比べて1/3だったので、上記で説明した不公平な取引は行われなくなりました。
でも、その新しい小判の発行と共に、3倍のインフレが日本を襲いました。
3倍のインフレとは、今までは1,000円のランチだったものが、3,000円のランチになるということです。
その時の庶民の怒りは、図りしれません。
その怒りが、「庶民の外国人嫌い」と「攘夷」に繋がっていきます。
ちなみに、庶民が「生麦事件」を耳にした時は、薩摩藩士への拍手喝采だったそうです。
さらに、その小判の交換に乗じて、政府の高官や金持ちの商人は、大儲けをします。
政府の高官、お金持ちの商人、外国人が大儲けをして、庶民が大損をしたということです。
それが、倒幕のエネルギーに繋がったことは言うまでもありません。
まとめ
教科書は、わずか1行か2行ぐらいで説明されている「攘夷」には、このような背景がありました。
「攘夷とは、神国に住む日本人の外国人排斥運動」という短い物語は、わかりやすいかもしれませんが、大事な過程と視点が抜け落ちており、そこから何も学ぶことはできません。
私達が、「短い物語」を聞く時は、その点を注意して聞く必要があります。
同様に、「わかりやすい短い物語を作ろう」と考えている時にも、大事な視点が抜け落ちないように気を付けましょう。
なお、この記事の話は、これらの本を参考にして書きました。
Good luck!
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目次1 全時代の歴史2 南北朝時代(1300年代)3 戦国時代初期(1400年代)4 戦国時代(1500年代)5 戦国時代末期〜江戸時代(1600年代〜1800年代)6 明治時代(1868年〜1912年)7 第二次世界大戦(1900年〜19 ...