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天気の子を観ました(読みました)

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記事の内容


「天気の子」を観てきたので、その感想を述べたいと思います。
「天気の子」の主なテーマは、「ルール」と「自己犠牲の精神」の二つかなと感じました。
一部にはネタバレがあるので、内容を知りたくないという人は、この記事を読まないで下さい。

ルール

「天気の子」のテーマの一つは、「ルール」です。
「天気の子」では、事情を持つ15歳以上の子供たちが、自分達だけで暮らしているシーンがあります。
そして子供達は、その生活が幸せであるにも関わらず、ルールから外れているという理由で、大人達にその生活を壊されていきます。

中学生はバイトをできませんし、子供達だけでは宿に泊まることもできません。
大人が中学生を雇おうとしたり、中学生を宿に泊まらせたら、法律で罰せられてしまうので仕方がありません。
大人は、例え子供達を助けたいと思っていても、ルールを守ることで、子供達に救いの手を差し伸べることはできません。
でも、それは、一人でも生活できるはずの子供達の生存権を奪っているとも言うことができます。

日本では、何よりもルールが大事とされています。
でも、そのルールは時に、私達を守ってくれません。
もしくは、ルールを守っていたとしても、それは必ずしも私達を幸せな方向には導いてくれません。

日本では、家族から虐待を受けている子供たちのニュースが、時々、話題に上がります。
そして、虐待を受けて亡くなってしまう子供達もいるのですが、大体は、虐待が初めてではないケースです。
以前に、児童相談所は気にかけていたけれど、それでも、結局は親元にしか子供達の行き場がないので、親元に戻されています。
これは、虐待している親以外の全員がルールを守っているのにも関わらず、子供は決して幸せにはなれていないということです。

何らかの理由で、家出をしている未成年も同じです。
今の日本では、マトモな大人は、決して未成年を保護しません。
なぜならば、仮に同意があったとしても、未成年を保護したり家に未成年を泊めてしまうと、それだけで犯罪になるからです。
大人がルールを破って未成年を助けると、仮にそれが善意からくる行動だとしても、ニュースやネットに名前がのって会社もクビになり、人生が台無しになってしまいます。
その結果、未成年を助けるのは、未成年を食い物にする悪い大人達だけです。
その描写は、「天気の子」にもありました。
マトモな大人は、未成年を助けないので、未成年は自ずと悪い大人達に引き寄せられていきます。。。

核家族やシングルマザーという脆弱なコミュニティが増えていく中で、私達は、それ以外の弱者を包摂する仕組みを、今一度、考えていくべきなのかもしれません。

自己犠牲の精神

おそらく、「天気の子」のメインテーマは、「自己犠牲の精神」です。
私は、それを3つの観点から考えてみました。

  • 戦前の日本人
  • 現代の日本人
  • 現代のフィリピン人

戦前の日本人

戦前の日本人と言えば、特攻隊で有名です。

特攻とは、戦争中に、飛行機にのって相手の戦艦に体当たり攻撃をすることです。
乗っているパイロットが死ぬことは、言うまでもありません。
日本国のため、家族のために、自らが死ぬのですから、特攻とは「自己犠牲の精神」の塊だと言えます。

大東亜戦争での特攻があまりにも有名ですが、100年前の日露戦争での203高地の攻防戦も、特攻のようなものでした。
鉄条網と機関銃に対して、兵士が立ち向かっていきます。
現代の日本人からしたら、ただの自殺行為です。

でも、70年以上前の日本には、そのような日本人が多くいました。
70年以上前の日本人が主人公ならば、映画のラストは変わっていたはずです。

現代の日本人

現代の日本人は、自己犠牲の精神をあまり持たなくなりました。
日本では道徳よりも、ルールを守ることが大切とされているからかもしれません。
もしくは、ルールを守ることが、自己犠牲の精神を包摂しているからかもしれません。

例えば、「高齢者にお金をあげて世話をすること」は、納税というルールを守ることで、日本人の若い世代は、間接的に達成しています。
今の若者達は、年配の方々に比べて、貰える年金は大幅に減ります。
これは若者の「自己犠牲の精神」だとも言えますが、若者はそれを意識することなく、自己犠牲の精神に則った行動をしています。

一方で、天気の子の主人公達は、「自己犠牲の精神」を意識したので、あのような結果になったのでしょう。

現代のフィリピン人

フィリピン人には、国家や公のためといった概念は、ほとんどありません。
あるのは、「家族や親族のため」という概念です。

フィリピンの人口は1億人以上ですが、その1割にあたる1,000万人が、海外に出稼ぎに行っています。
そして、彼らはフィリピンに住む家族のために、自分達の生活を犠牲にしてでも、必死に仕送りをします。
また、フィリピン人は、家族のためならば、売春だろうと平然と行います。

フィリピンが主人公ならば、映画のラストは、どうなるんでしょうか?
ただ、家族のためと言われれば、映画のラストは変わっていたかもしれません。

まとめ

この記事では、「ルール」と「自己犠牲の精神」という二つのテーマについて書きました。
その二つについて、映画でも答えを出していませんし、私も答えを出すことはできません。

ただ、私が何かに迷った時、「私は、それで幸せなんだっけ?」と考えるようにしています。
例えば、自分の生活を過剰に犠牲にしてまで、家族に仕送りをしたくはありません。
また、馬鹿げた戦争や作戦のために、自分の命を捧げるのもお断りします。
それは、「決して自分勝手になれ」と述べているわけではありません。
でも、その前にもっと考えるべきことや、やれることがあるはずです。

例えば、「天気の子」のストーリーで考えるならば、新たに住める場所を開拓するといった方法が考えられます。
自己を過剰に犠牲にすることなく、よりよい方法を模索していきたいですね。

Good luck!

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