最近、子供たちの学ぶべきことが多くなったせいもあり、「国語や古典を学ぶ意味」について、よく議論されるようになりました。
その議論をするために、戦前の「初等科国語」の教科書に書かれている内容と現代を比較して、紹介したいと思います。
現代の指導要領
まずは、文部省の指導要領を確認します。
これは、小学校5年生・6年生のものです。
- 日常生活に必要な国語の知識や技能を身に付けるとともに,我が国の言語文化に親しんだり理解したりすることができるようにする。
- 筋道立てて考える力や豊かに感じたり想像したりする力を養い、日常生活における人との関わりの中で伝え合う力を高め、自分の思いや考えを広げることができるようにする。
- 言葉がもつよさを認識するとともに、進んで読書をし、国語の大切さを自覚して、思いや考えを伝え合おうとする態度を養う。
古典についても紹介します。
- 親しみやすい古文や漢文、近代以降の文語調の文章を音読するなどして、言葉の響きやリズムに親しむこと。
- 古典について解説した文章を読んだり作品の内容の大体を知ったりすることを通して、昔の人のものの見方や感じ方を知ること。
- 語句の由来などに関心をもつとともに、時間の経過による言葉の変化や世代による言葉の違いに気付き、共通語と方言との違いを理解すること。また、仮名及び漢字の由来、特質などについて理解すること。
正直、戦前の教科書に比べると、幼稚に感じます。
戦前の内容
戦前の教科書には、以下のように書かれています。
- 国語を学ぶことで日本人になる。
- 国語には祖先以来の感情や精神が溶け込んでいて、それが我々と結びついている。
- 国語は、国家・国民と切り離せないものである。
古典も同様です。
「古典を読むことで、日本の尊い歴史と昔の日本人の精神がわかる」と書かれています。
私には、戦前の教育の方が明快で、そして美しく感じます。
みなさんは、どう思われますか?
ちなみに、私が国語の教育について考えるようになったキッカケは2つあります。
一つ目は、沖縄の対馬丸記念館に行った時に、戦前の日本人の手紙をほとんど読めなかったからです。
私達、現代の日本人の多くは、戦前の日本人と手紙を通して対話することはできません。
なんだか、それは非常に残念なことのように思います。
2つ目は、フィリピンという国で感じたことです。
昨今、フィリピンの上流階級では、子供たちにフィリピン語を教えないことが流行っています。
そのため、子供たちは、英語のみしか話せません。
それは、きっと学歴やキャリア的には効率的なことだとは思いますが、非常に残念な気持ちになりました。
彼らの国籍はフィリピンだろうけど、一体、何人なんだろうか?と疑問に思います。
アメリカによる植民地支配が、完全に完了したのかもしれません。
昨今の教育では、プログラミング学習や英語学習の大事さが叫ばれています。
でも、その前に国語や古典に対する大事さをもっと議論するべきではないでしょうか?
それらをおざなりにしたままでは、将来の日本人は、英語しか話せない日本人になってしまうかもしれません。
▼ この記事は、この本を参考にして書きました