戦前、フィリピンのダバオに3万人弱の日本人が住んでいたことを知る日本人は、現在、どれぐらいいるだろうか?
フィリピンのダバオという都市を日本人が作った街であることを知っている人は?
ダバオの経済の7割以上を支えていたのは日本人だったを知っている人はいますか?
それらの歴史は、ダバオのミンタルに行けば知ることができます。
ダバオのミンタルにある小学校にいけば、今でも太田恭三郎を称えていた石塔が立っています。
日本人墓地には、今でも多くのお墓があります。
歴史資料館に行けば、当時のダバオがどういった街であったかを知ることができます。
またグーグル・マップから観ると、賽の目のように切られている街が、日本人街であった面影を残しています。
戦前の教科書では、ダバオはこのように紹介されていました。
ダバオ、ミンタル、フィリピンの歴史に興味がある人は、是非、この本を読んでみてください。
この本では、神戸大学附属図書館がデジタルアーカイブで公開している日本とフィリピンに関連する記事を紹介します。
時代は1910年〜1943年ぐらいの間です。
プロパガンダに関係ない当時の状況がよくわかる一次史料です。
また、日本人がなぜ戦争を始めたのか知りたい人は、是非、この本を読んでみてください。
歴史を学ぶとき、誰もが一度は「なぜ日本人は太平洋戦争を始めたのか?」という疑問を抱くはずです。
しかし、それについて調べてみても、なかなか納得のいく答えに出会うことはできません。
多くの場合、欧米の視点からの解釈や、「軍部が悪かった」といった自虐的な説明です。
もしくは反対に「日本はアジアの開放のために戦った」という勇ましい説明です。
しかし、それらは「なぜ日本は太平洋戦争をしたのか?」という問いに、本質的に答えたことにはなっていません。
現代の日本人は非常に平和的ですし、江戸時代の日本人もまた平和的でした。
江戸時代の260年間、日本は鎖国政策をとり、ほとんど外国と関わることなく、国内で平穏な暮らしを続けてきたことは広く知られています。
では、明治・大正・昭和初期に生きた日本人だけが好戦的だったのでしょうか?
私はそうは思いません。