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スラムダンクのリョータが手にしていたもの

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最近になって、遅ればせながらスラムダンクの映画を観た。
ストーリー、音響、コマ割りなど、素晴らしい映画だった。

映画の中で、私はリョータの家庭が特に気になった。
なんだか、少なからず、自分の家庭と近しいものを感じたからだ。
なぜなら、私もバスケットをしていたし、引っ越しを経験したからだ。
高校生になってから子供の頃の秘密基地に戻ったシーンなど、私も同じことをしたことがあるので、スゴイ気持ちがわかった。

リョータの家庭は決して、教育レベルが高い方ではないだろう。
でも、リョータは決して不幸ではなかった。
彼には、兄との思い出、バスケットの技術、理解ある母親などがあった。
つまり彼には、すがれるものがあったのだ。
それがあったからこそ、グレることなく、バスケットを上達することができたはずだ。
「すがれるもの」、拠り所と言い換えても言いけれど、それこそが人生を生きる上での根幹な気がしている。
それなしに生きれる程、人間は強くはない。

翻って、今の日本を見ていると、「すがれるもの」を持っていない若者が増え始めている気がする。
それを象徴した事件が、銀座で若者達が起こしたロレックス強盗だろう。
あの事件には、ビックリした人も多いはずだ。
ハッキリと言えば、あの若者達は馬鹿すぎる。
「なぜ、あのような確実に捕まる犯罪を犯すのか?」と普通の人達ならば考える。
でも、あのような犯罪を実際に犯してしまう若者達がいる。
その理由は、若者達があまりにも、まともな大人との接点を持っていないからだろう。
彼らには、「すがれるもの」が一切ないのだと思う。

今の日本は、昔に比べて無縁社会になってしまった。
昔の社会には、様々な縁があった。
村、町内会、親族、3世帯住宅など、全てが大人との接点を増やすものだった。
でも、それらは、大きなものから順番に無くなっていった。
そして今では、最小単位である家族すらも、持たない人が増え始めている。
独身のままで生活する人は、3割近くに上るそうだ。
非常に寂しい社会で、こんな社会は世界中でも日本だけだろう。
これからの日本社会は、一体、どうなってしまうのだろうか?

-ポエム, 社会

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