メディアなどで、時々、見かける荒川和久さんの記事が酷いなと思ったのが、この記事を書こうと思ったキッカケです。
荒川さんは、「江戸時代にも独身が多かったから、現代人が独身でも悲観する必要はないよ」と言いたいのだと思います。
でも、「江戸時代に独身が多かった」というのは事実とは思えません。
また、荒川さんが言っている「江戸時代にも離婚は多くあった」というのも現代人が想像する離婚とは異なります。
というわけで、この記事では荒川さんの考え方に対して疑問に思った所をもとに、江戸時代の本当の婚姻事情を説明していきたいと思います。
農村部ではみんな結婚していた
まず、荒川さんの記事でも引用されている「歴史的に見た日本の人口と家族」に書かれている内容を説明します。
1700年以降の農村部では、ほぼみんな結婚しています。
そして、江戸時代は身分社会であり、人口の8割が農民でした。
人口の8割を占める農民が皆婚だったということは、多くの人が結婚していたと言っても差し支えありません。
この結果、江戸中期以降、農村部では「皆婚」に近い社会が生まれた。
例えば信濃国湯丹沢村の16歳以上の者の未婚率は、1675年時点で男子の 46%、女子の32%であったのに対し、1771年時点ではそれぞれ 30%、14%に低下している。
また1716年から1870年の陸奥国下守屋村と仁井田村の未婚率は、45歳から49歳の男子で4.8%、同じく女子で 0.6%であり、ほぼ皆婚といってよい状況となっている。
では、荒川さんは、この文献のどこを見て「江戸時代は独身が多かった」と言っているのでしょうか?
それは、どうも江戸という都市のことをだけを指して言っているようです。
江戸時代には、関八州(群馬、栃木、埼玉、茨城、千葉、神奈川)から江戸に多くの男性が流入してきました。
その多くは、家を継げない次男、三男だったと思われます。
また、参勤交代で多くの男性が地方から江戸に来ていたせいもあるかもしれません。
そのため、江戸は男性過多社会になっていました。
1721年の首都である江戸における男女比は、男32万と女17万でした。
1844年の男女比だと、男29万と女26万でした。
江戸という都市の中では、結婚できない男性が多かったのも納得できる話です。
日本の人口が約2,600万人だった頃の話です。
他の参考資料では、幕末の一部の街で結婚している人の割合が書かれています。
渋谷宮益町だけは奇妙なほど数値が低いので、何か事情があったのかもしれません。
女性の場合だと、70%以上の人に配偶者がいます。
これは当時の死亡率と死別を考慮すると、かなりの高確率で女性には一度の結婚経験があったのではないでしょうか?
というのも、1858年に江戸でコレラが流行った時には、当時の人口の4人に1人が亡くなったとも言われています。
当時、江戸の人口が100万人だったので、25万人が亡くなった計算です。
ということは、それ相応の死別があったことは間違いないでしょう。
つまり、配偶者がいなかったからといって婚姻歴がなかったとは限らないということです。
また江戸時代は、配偶者との死別に伴う再婚も多かった。
夫婦が一生寄り添うという家族のイメージは、離婚率が低下し、平均寿命が延びた明治以降に形成されたものと言えよう。
江戸時代の離婚事情について
また荒川さんは、こんなことも述べています。
そして、江戸時代の日本は、離婚大国であると同時に、再婚大国でもありました。
享保15年(1730年)の史料に「世上に再縁は多く御座候」と記述がありますし、土佐藩には「7回以上離婚することは許さない」という規則がわざわざ設けられていたくらいです。
ということは、6回までの離婚再婚は認められていたわけですね。
離婚・再婚がいかに多かったかが、推測されます。
その上で、こうも述べています。
今の未婚率・離婚率の上昇は揺り戻しに過ぎないのであって、本来の日本人のあるべき姿に戻っている、と言ったら言い過ぎでしょうか。
荒川さんは、完全に結論ありきで話を進めたがっているのでしょう。
まず、先程も述べたように江戸時代は死別してからの再婚が多かったのであって、現代の離婚とは全く事情が異なります。
さらに言うと、江戸時代の男女関係は今とは全く異なります。
離婚事情を知るためには、当時の男女関係や結婚事情も知らなければなりません。
そのため、「イザベラ・バードの日本紀行」に書かれている「女性のための修身・教訓書」の一部を紹介したいと思います。
- どの少女も年ごろ(16歳ぐらい)になれば、自分とは違う家系の男性と結婚しなければならない
- 親は娘に男性には近づかないことを教えなければならない
- 未婚の女性は両親を敬愛しなければならないが、結婚したあとは実家の両親より舅と姑を敬愛しなければならない
- 妻は夫以外に主人も家長も持たない
- 夫の親族はすべて妻の親族である
- 妻は夫が自分に不実であっても、嫉妬するのではなく、そっと優しく夫をさとさなければならない
- 女性はペチャクチャしゃべってはならない
- 女性はつねに自分の務めを守り、朝は早く起き、夜は遅くまで働かなければならない
- 若い妻は若い男や夫の親族に親しい口調で話しかけてはならない
この修身の中には男性が妻を離縁する7つの理由についても書かれています。
- 妻が舅や姑に従順でないこと
- 妻が貞淑でないこと
- 妻が嫉妬深いこと
- 妻がハンセン病持ちであること
- 妻に子供ができないこと
- 妻が盗みを働くこと
- 妻がお喋りであること
そして7つの理由の締めに、「女性はひとたび夫の家から追い出されると、それは彼女にとって大きな恥となる」と書かれています。
重要な箇所を抜き出せば、「夫は不倫してもいいけど嫁は不倫したらアカンよ。あと、子供ができなかったら離婚するからね」という感じです。
こういった男に都合のいい離婚が多かったのであって、今の離婚とは全く事情が異なることがわかります。
土佐藩の離婚の話にしても、武士階級に限った話であり、「嫁を7回以上は取り替えるなよ」と言っているだけでしょう。
土佐藩と言えば、江戸時代にあった藩の中でも、もっとも身分差別が激しかった藩です。
恋愛の自由があったとは、とても考えられません。。。
というわけで、この記事では江戸時代の男女関係や婚姻事情について説明しました。
荒川さんの記事は荒唐無稽であることがわかって貰えたと思います^^
江戸時代に興味がある人は、これらの本を読んでみて下さい。