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ある不幸なフィリピン人

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最近、やけに不幸なフィリピン人女性に出会った。
彼女はガラガラのアパートの管理人で、年齢は39歳とのことだった。
彼女がどう不幸なのか?

  • 数年前に、旦那はスキューバダイビングの仕事をしている時に亡くなった
  • 長女には重い病気があり、次女の身体には障害がある
  • アパートには誰も入居していない

辛い人生だな〜と素直に感じた。
でも、それは彼女の運が悪かっただけなのだろうか?
特に確証があるわけではないけど、運だけではない気もした。

亡くなった旦那には喫煙習慣はなかったか?
飲酒の習慣はなかったか?
寝不足ではなかったか?
重低音ばかりを聞いて、身体を痛めていなかったか?

娘たちの病気には、旦那の喫煙習慣が影響していないか?
両親の食生活が悪かったのではないだろうか?

そして、ガラガラのアパートは確実に運の問題だけではないだろう。
俺はそのアパートに入居しようか悩んでいたものの、週3ぐらいで広場で大騒ぎしたりカラオケをしている管理人一家の姿を何度か目撃したので、入居を躊躇した。
さらには管理人の彼氏は、ガラの悪そうなチンピラっぽかったので、入居を止めた。

それらの行動だけが原因ではないにしろ、そういった行動の積み重ねが彼女の人生を不幸にしているのではないだろうか?

基本的には、幸福も不幸も人が運んでくるものだ。
もし、管理人の女性が静かに過ごしていれば、俺が入居したかもしれない。
そうしたら、俺が友人を連れてきたかもしれない。
そして日本人と娘が結婚して、娘を日本に連れていき、娘が適切な医療を受けるなんて話だってあったかもしれない。
そうしたあらゆる幸運の可能性を、彼女は自ら捨てているのだ。

幸福と不幸にはいくつかの性質がある。

  • 些細だと思われる行動がキッカケで、大きな幸福にも不幸にも繋がる
  • 禍福は、見えづらい行動の積み重ねによって、必然的に起こっている
  • 「禍福はあざなえる縄のごとし」というようにコロコロと入れ変わる

これは私も含めて、誰にでも当てはまる話だ。
肝に銘じておきたい。

-ポエム, 幸福論

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