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「アルジャーノンに花束を」を読んで(書評)

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「アルジャーノンに花束を」というのは、ダニエル・キイス氏によって書かれた有名な小説です。
障害児であるチャーリーが、ある手術を経て天才になるのですが、その結果として本人だけでなく、周囲にも思いもよらぬ変化が起こります。
その変化に対して、チャーリーが戸惑っている間に、実はその手術の効果は永遠に続くものではなく、一時的なものだということが知らされて、失意のうちにチャーリーは元の障害児に戻ってしまいます。
この話は、非常に示唆深く、多くの人がチャーリーに自分自身を重ねています。
かくいう私も、チャーリーに自分自身を重ねてしまいました。
この記事ではストーリーだけでなく、私が大事だと思ったことについて書いていきたいと思います。

本記事の内容

  • 「アルジャーノンに花束を」の本質的な部分
  • 「アルジャーノンに花束を」を恋愛に置き換えた話
  • 平成という時代に私が経験してきたこと
  • まとめ

「アルジャーノンに花束を」の本質的な部分

この話の本質は、チャーリーが幸せになるために「賢くなる手術」を望んだのに、結果としては、「賢くなったのに幸せにはなれなかった」という辺りかなと考えています。

チャーリーが障害児だった頃は、周りからすれば彼はピエロであり、優越感を感じる対象でした。
そして、それと同時に、周りの人は、チャーリーのことを可愛い弟のようにも感じていたはずです。
そして、馬鹿なチャーリーは、自分がピエロであることに気付く知能すら持ち合わせていなかったので、そういった状況でも幸せ?に暮らしていました。

でも、彼が天才になってから、状況は一変しました。
天才になったチャーリーは、周りに優越感を与える存在ではなく、劣等感を与える存在になってしまいました。
また、感情を学ぶ機会がなかったチャーリーは、他人を見下す?ようにもなり、孤立してしまいます。

そうしてチャーリーは、そういった状況を何も変えることはできずに、障害児に戻ってしまい、何も手に入れられずに人生を終えることになります。
一連の状況を簡単にまとめると、以下のようになります。

チャーリーが障害児だった頃
  • チャーリーは、周りから馬鹿にされていた
  • 周りの人は、チャーリーを見て優越感を感じていた
  • 周りの人は、チャーリーを可愛がっていた
  • チャーリーは、周りに馬鹿にされている事に気付いてなかった
  • チャーリーは、おおよそ幸せだった
チャーリーが天才になった後
  • 周りの人は、チャートと話して劣等感を感じた
  • チャーリーは、周りの人を見下し?ていた
  • チャーリーは、人間関係をコントロールできなかった
  • チャーリーは、自分は不幸だと感じるようになった

チャーリーが物語の中で言った発言が、妙に私の胸を打ちました。

人間的な愛情の裏打ちのない知能や教育なんてなんの値打ちもないってことをです。

「アルジャーノンに花束を」を恋愛に置き換えた話

「アルジャーノンに花束を」で主人公に変化が訪れたのは「知能」ですが、それを「恋愛」に置き換えた話があります。
「ぼくは愛を証明しようと思う」という本です。
おそらく作者は、「アルジャーノンに花束を」を意識しているはずです。

この話の内容は、モテない渡辺君が、幸せになるために「モテること」を目指すのですが、結果としては、「モテたのに幸せになれなかった」というものです。

要点を簡単にまとめると、以下のようになります。
話に類似点があることがわかるはずです。

渡辺君がモテなかった頃
  • 渡辺君は、女から馬鹿にされていた
  • 渡辺君は、女にお金や物を貢いでいた
  • 渡辺君は、女に時間や労働力を提供していた
  • 渡辺君は、人間として誠意を持って女性に接していた
  • 渡辺君は、全く幸せではなかった
主人公がモテてるようになった後
  • 渡辺君は、女とSEXし放題になった
  • 渡辺君には、何人もの彼女?がいた
  • 渡辺君は、女性をモノのように扱うようになった
  • 渡辺君は、幸せを感じたものの、どこか虚しさを感じていた

チャーリー風に言えば、きっと上記の事柄はこのように言い換えられるはずです。

人間的な愛情の裏打ちのない愛なんてなんの値打ちもないってことをです。

平成という時代に私が経験してきたこと

私は、チャーリーや渡辺君のような経験はしていませんが、仕事で似たような経験をしてきました。
若かりし頃の私は、「仕事を頑張り出世をして、お金を稼げば、人生は何もかもが上手くいく」と思い込んでいました。
私が勝手に思い込んでいたというよりは、昭和の残り香が残っていた平成という時代に、そのように思わされたと言った方が正しいのかもしれません。

昭和の時代だと、仕事さえシッカリしていれば、自然に給与は上がって、嫁はお見合いだったり社内恋愛で見つかることが当たり前でした。
つまり、男は仕事さえしていれば、ごく普通の幸せが手に入ったと言い換えることもできます。

平成という時代においても、なんとく、私はそれを信じていた気がします。
その状況をまとめると、以下のようになります。

私がお金を稼げていなかった頃
  • 何となく、お金を稼ぎたかった
  • 何となく、出世をしたかった
  • 出世をしてお金を稼いだら、素敵な嫁が見つかると思っていた
  • 出世をしてお金を稼いだら、家を購入していると思っていた
  • 出世をしてお金を稼いだら、子供を育てていると思っていた
  • 出世をしてお金を稼いだら、幸せになれると思っていた
私がお金を稼げるようになった後
  • 出世やお金を稼いでも、それが特別に素晴らしいことではないことに気付いた
  • お金を稼いでも、素敵な嫁は見つからなかった
  • 出世をしてお金を稼いでも、幸せには直結しなかった

これをチャーリー風に言うと、きっとこうなるはずです。

人間的な愛情の裏打ちのない出世やお金なんてなんの値打ちもないってことをです。

まとめ

この記事では、何かを欲した時に大事なことを忘れていると、「例え目的のモノを手に入れたとしても、決して幸せにはなれない」という話を書いたつもりです。

私自身もそれに気付いた後は、今までとは異なる生き方を選ぶことにしました。
正直、今までのキャリアを捨てることは本当に辛かったのですが、それでもキャリアを選んだ先にあるものが、幸せに繋がるとは全く思えなかったからです。
これから先は、キャリアやお金よりも、より人間らしい生き方を選びたいと考えています。

この記事を読んだ方の人生が、より素晴らしいものになることを祈っています。

Good luck!

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